秀明学園だから、頑張れる。夢を叶えるための濃密な、6年間。 荒井歯科医院 副院長
荒井淳次さん 青山社中(株)筆頭代表
秀明大学客員教授
朝比奈一郎さん 水越医院
水越哲也さん
水越奈津樹さん

秀明だから、良かった。夢を叶えた先輩たち
荒井歯科医院 副院長・荒井淳次さん
青山社中(株)筆頭代表秀明大学客員教授・
朝比奈一郎さん
水越医院・水越哲也さん、水越奈津樹さん

「医師になりたい」「難関国公立大学に進学したい」「勉強に集中したい」「多感な時期を健やかに成長して欲しい」「世界に通用する語学力、対人関係能力を身につけてほしい」そうお考えのお子様やご父母におすすめです!
さらに秀明中学校では、強みでもあった英語教育を強化、2016年4月から、真のグローバルリーダーを育成する「スーパーイングリッシュコース」を新設します。

学校説明会・イベントスケジュール

学校見学会・説明会・進学面談

高校
  • 2016年12月10日(土)12:00(予定)〜

昼食(寮での食事)をご用意します。(要申込)

授業見学

中学校・高校とも
毎週月曜日及び金曜日(学校休業日を除く)

各日とも11:00〜14:00の間にご自由にご来校ください。
ご希望の方には昼食(寮での食事)をご用意します。(予約制)

公開行事

体育大会
体育大会は終了しました。
文化発表会
文化発表会は終了しました。

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お電話のお問い合わせ:049-232-3311

秀明学園で、夢が叶う理由とは?

2、最高の条件で英語を習得イギリス留学で生きた英語を学べます

10代のうちに英語圏の国での生活を経験することは、英語の習得に大きなプラスになります。
全生徒がイギリスに短期留学し、本場の生きた英語を学びます。留学期間中の半分はカレッジでの寮生活、残りの半分は英国人家庭にホームステイして、伝統的なイギリスの文化やマナーに触れます。

2016年、スーパーイングリッシュコース誕生

「英語よければすべてよし」をモットーに、1978年の開校以来、英語教育に力を注いできました。経験豊かなイギリス人の先生が多数在籍、日本人の先生と息の合ったチームティーチングで、生徒の英語力を伸ばしたノウハウと経験を生かして、来春新たに「スーパーイングリッシュコース」を設置。
今、大きな期待が寄せられています。

3、世界に通用する真の国際人の育成

「心の学習」では、善と悪の区別や感謝・いたわりの心などについて、先人の言葉や新聞記事を題材に教員と生徒が一緒に学び、何事も自分の意見を言える人物の育成をめざしています。

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「秀明だから、良かった。」夢を叶えた先輩達

荒井歯科医院 副院長 荒井淳次さん【17回卒業生】
荒井歯科医院 副院長 荒井淳次さん【17回卒業生】

荒井齒科醫院 副院長
1980年、埼玉県生まれ。秀明中学校・秀明高等学校を経て、2004年に東京医科歯科大学歯学部を卒業。東京医科歯科大学歯学部附属病院義歯外来専攻生を経て、2006年同外来医員に就任。2008年より同外来非常勤講師などの勤務をこなすかたわら、荒井齒科醫院(埼玉県 飯能市)での診療を開始。現在は同院・副院長として地域の歯科医療に携わる。

秀明なら間違いない。
自信を持って断言できます。

鍛えてもらうつもりで秀明に入学させた両親

 実家は1900年から代々続く歯科医院で、私が5代目に当たります。幼稚園卒園時の寄せ書きに将来の夢を「はいしゃ!」と書いてありましたから、物心つくころには歯科医師になるのが当然と考えていたようです。医院の2階が自宅ですから、父の働く姿を見て憧れを抱いていたのかもしれません。

 秀明中学校は、両親に勧められて選択しました。ハイレベルな私立中学校は当時から複数存在しましたが、「医療系大学への進学率が高い中高一貫校に入学させたい」と両親は考えたようです。入学して、寮生活に慣れるまでは苦労しました。テレビもマンガもゲームもない毎日。とくにゲームが大好きな子どもでしたので、当初は我慢の連続でした。ただ、4人部屋(当時)で同級生とともに過ごすのは楽しく、毎晩いろいろな話をしていましたね。

 母は、私が早生まれで同級生に比べて身体が小さく、少食であることを気にかけていたようです。しかし、秀明で鍛えてもらうつもりで入学させたと後日知りました。

朝から晩まで勉強ひと筋。でも「良い厳しさ」だった

 秀明では、医師や歯科医師をめざす人が多く、私とよく似た環境で育った同級生が少なくありませんでした。もともとは医療系の大学をめざしていなかった同級生の中には、周囲に感化されて医師を志すようになった人もいました。

 校内には、勉強するための環境が完備されていたため、入学後は私も勉強ひと筋になりました。今振り返ってみても、あのころは本当によく勉強していたと思います。しかし、同級生も私と同じぐらい勉強しているわけですから、それが当然という感覚でした。生活指導も厳しく、よく先生方のお叱りを受けましたが、成長期の子どもが必要とする「良い厳しさ」でした。

 母が気にかけていた少食も、規則正しい寮生活のおかげで徐々に改善され、3度の食事はもとより、夜間学習後に出されるパンと牛乳の夜食も完食できるようになりました。また、秀明では男子でも茶道の授業が必修とされていて、礼儀作法を教わります。長時間の正座はつらいですが、出されるお茶菓子が美味しいので、秘かな楽しみだったことを覚えています。厳しい中にも、楽しみや喜びがある寮生活でした。

 一番の思い出は、中学3年生で参加したイギリス英語研修です。ヒルダーストンという小さな港町で6週間ホームステイをしながら、専用施設に通いました。高台から望む海がとても美しい町で、初めての海外だった私には見るものすべてが新鮮に映りました。ホストファミリーとの英語でのコミュニケーションはスムーズでしたし、歯学部進学後の英語論文に対してもさほど苦労しなかったのは、独自の英語教育のおかげだったのでしょう。

夢は地域の虫歯・歯周病患者をゼロにすること

 歯科医師としての大きな夢は、「地域の虫歯・歯周病患者をゼロにする」こと。実現不可能な夢と言われるかもしれませんが、虫歯や歯周病の知識がない方がまだまだ多いので、まずは啓蒙活動を地道に続けていくべきだと考えています。そのため、初診ではしっかりとしたコンサルティングを実施し、患者さんが納得されるまで何度でも丁寧に説明するように努めています。その一方で、少しでも歯科医院に親しみを持っていただこうと、スタッフ全員が白衣ではなくカラフルなポロシャツを着用するようにしました。また、院内に熱帯魚の水槽を置いたり、心を和ませるインテリアにしたり、子どもたちが進んで通いたくなるような町の歯医者さんをめざしています。実際、診察室に入るだけで泣いていた子どもが、何度も通ううちに通院を楽しみにするようになった例も少なくありません。

歯科医をめざす息子も母校に入学させたい

 秀明で得た一番の財産は、人とのコミュニケーション能力です。12歳で集団生活に飛び込み、人と関わらずには生きていけない環境に身を置いたことは、地域の患者さんと毎日関わる歯科医師になった今も自分に良い影響を与えていると思います。しかも、秀明には全国から生徒が入学してくるので、早い時期から様々な人と接する機会をいただけて視野を広げることにも役立ちました。

 同級生とは四六時中ともに過ごすので、本当の家族のようになります。私の場合、一緒にイギリス研修に参加した仲間と今も親しいつきあいが続いています。私には今年3歳になる息子がおり、「ボク、はいしゃになるの」と言っていますので、ぜひ秀明に入学させたいですね。仲間にも同年代の子どもが多いので、「親子2代で同級生になるかもしれないね」という話で盛り上がっています。

 私たち卒業生が母校に子どもを入学させたいのは、「秀明なら間違いがない」と思うからです。勉強に対する環境の良さはもちろん、親として信頼ができるのは秀明だと確信しています。勉強も寮生活もすべて「良い厳しさ」であり、一時的に子どもが反抗することがあったとしても、後から振り返れば必ず「厳しくしてもらえて良かった」と思うはずです。私自身がそうでしたし、私の両親の選択も正解だったのだと改めて実感しています。

荒井歯科医院 副院長 荒井淳次さん【17回卒業生】
青山社中(株)筆頭代表 秀明大学客員教授 朝比奈一郎さん【11回卒業生】

青山社中(株)筆頭代表(CEO)秀明大学客員教授
1973年、東京都生まれ。秀明中学校・秀明高等学校を経て、東京大学法学部へ。卒業後、経済産業省に入省。2003年、ハーバード大学行政大学院修了。内部からの構造改革をめざし、「プロジェクトK(新しい霞ケ関を創る若手の会)」を立ち上げ、初代代表に就任。2010年に退職し、政策シンクタンク・青山社中(株)を設立。

寮生活で育み、磨かれた
人間関係を構築する力。

秀明の6年間が私の基礎をつくった

 「社会や国の役に立ちたい」と経済産業省に入省し、エネルギー政策やインフラ輸出政策などを担当しました。ところが、睡眠を削って職務に奔走しても、政治や行政が、効果的な政策作りが出来ない状況が続きました。「このままではいけない」と、省庁を超えた若手官僚21名とともに勉強会を重ね、独自に霞ヶ関の構造改革案を作成。政党幹部や有力政治家に持ち込みましたが、改革は遅々として進みません。
 「内からの改革には限界がある」と考えた私は、経済産業省を退職して青山社中(株)を設立しました。現在は、政策シンクタンクとして政策づくりとともに、「青山社中リーダー塾」を開講。国や社会のことを第一に考え、変革に携われる人材の育成をめざしています。
 当然のことですが、政策を立案するには自分の考えをまとめ、人と議論することが必須で、情報分析力や表現力、コミュニケーション力などが重要です。その意味でも、秀明の6年間は私の基礎をつくってくれました。

自分の考えをまとめ、的確な言葉で伝える

 秀明時代の私は、決して典型的な優等生ではありませんでした。入学後の最初の試験では学年で10番台。地元の小学校ではあまり勉強しなくてもトップでしたから、かなりショックを受けましたね。
 その後も勉強一筋にはならず、寮の仲間と早朝野球で身体を動かしたり、夜間学習後の自由時間におやつを食べながら仲間と他愛もない会話をしたり。そんな寮生活の何気ない日常がとても楽しく、良い仲間にも数多く恵まれました。今も秀明の仲間とは親しくつきあっており、起業した際も様々な面で手を貸してくれました。
 寮生活の良い点は、何といってもコミュニケーション能力を鍛えられること。寮室にはテレビもラジオもなく、受信できるメディアが限定されています。ですから情報がある程度遮断された中で、自分なりの考えを明確に持ち、その考えを的確な言葉で表現しなければなりません。
 また、同世代が大勢いる中で、集団に埋もれることなく人の興味を惹きつけるには、言葉の選択や発するタイミング、話すときの表情や動作などにも気を配る必要があります。秀明で磨かれたのは、そんな偏差値教育の外にある人間関係の構築力だったと思います。
 事実、東京大学進学後や経済産業省入省時に多くの優秀な人材と出会いましたが、彼らと比較しても秀明の仲間は総じてコミュニケーション能力が高かった気がします。それもこれも、寮生活で自然と身についたのでしょう。

言葉の壁を超えてコミュニケーション

 先生方との距離が近かったことも、中高生が大人へと成長する過程で良い影響を与えてくれたようです。夜も先生方が勉強を見てくださいましたし、寮内を巡回される際、時には私たちの部屋に入ってきて会話に参加されることもありました。10代の私たちにとって、こうした等身大の大人とのコミュニケーションは新鮮な体験でした。今、私が主宰するリーダー塾の特色の1つに「師と弟子が一体となり、車座で議論をする」というものがありますが、間違いなく秀明での教育の影響を受けています。
 コミュニケーション力は、公務員試験の面接でも大いに役立ちました。国家公務員Ⅰ種の2次試験合格後、複数の省庁で面接を受けたのですが、足を運んだ省庁からはどこからも引っ張っていただき、どの省庁にするか悩みました。試験の成績だけなら私より良い人もたくさんいたでしょうが、それ以外の能力が評価されたのだと思います。悩んだ末に経済産業省を選び、在省中にはハーバード大学行政大学院に留学させていただきました。世界中の学生から出願がありましたが、その中で私の英会話力はおそらく最低レベル。それでも面接や小論文は手ごたえがあり、その後の在米生活でも人と接する力は言葉の壁を超えてくれました。

集団の中で培った他人を信用する気持ち

 この混沌とした時代に子どもの幸せを願うとき、最も重要なのは何か。私は、「人間関係構築力をいかに育てるか」だと思います。残念なことに、家庭でこの力を育てるのは難しい。やはり、集団生活の中でしか育たないのです。寮で同世代が大人数で生活するためには、心の底から人を信じる力が必要です。何かあるごとに人を疑っていては、寮では夜も眠れませんから。人は人を信じることで前向きに生きていける。たとえ仲たがいした相手であっても、信じなければ先へは進めません。 私は、人を信じる力を寮生活で養うことができました。感受性の強い10代にあれほど濃密な人間関係を築き、集団が一体感を持てる場はなかなかありません。その意味でも、6年間の寮生活は得がたい経験ではないでしょうか。

荒井歯科医院 副院長 荒井淳次さん【17回卒業生】
青山社中(株)筆頭代表 秀明大学客員教授 朝比奈一郎さん【11回卒業生】

水越 奈津樹さん(埼玉医科大学医学部)1993年生まれ。秀明中学校・高等学校を経て、2011年に埼玉医科大学入学。
水越 哲也さん(水越医院 院長)
1965年生まれ。80年に秀明高等学校入学。埼玉医科大学を卒業後、埼玉医科大学第二内科呼吸器科に勤務。2000年より現職。

寮生活で育み、磨かれた
人間関係を構築する力。

寮生活のおかげで人に伝える能力が格段に伸びた

娘・奈津樹:私が秀明中学校を選んだのは、お父さんの勧めだったのです。個別指導が充実していて、医師をめざすならここが良いって。
父・哲也:私のときは、「おまえは自由にしすぎると勉強しないから」と両親に勧められて入学したんだ。結果として、秀明で学んで正解だったと思う。奈津樹も地元の学校に進むと、どうしても「水越医院の娘」という肩書きがついて回るけれど、全国から生徒が集まってくる秀明なら、同じ目標を持つ仲間と切磋琢磨できる。ただ、女の子だったし、12歳で親元を離れての寮生活は少し不安があったけどね。
娘:私は、逆に寮生活が楽しみだったよ。コミュニケーション能力がつくんじゃないかな、と思って。
父:確かに、人に思いを伝える能力は秀明の6年間でかなり進歩したね。今は自分の意思を自分の言葉で表現でき、考えをまとめてから親に相談してくる。わが娘ながら成長ぶりに驚いたよ。
娘:伝える力は人と接することでしか育たないし、全寮制だからこそ人と深く関われたのだと思う。友だちとは1日中一緒にいるから、時にはお互い本音を言い合うこともあったけれど、その後は相手のことがより深くわかりあ合えるようになったよ。お互いに短所を知ったうえで友人としてつき合えるということは、本当に信頼できる、家族同然の友人だと思う。

親元を離れて感謝の気持ちがより深くなる

娘:寮生活で友だちとよく話題にしていたのは、「秀明に入って親への感謝の気持ちが強くなったね」ということ。寮に入るまでは家事をしたことがなかったから、「お母さんって、こんな大変なことを私たち家族のためにしてくれていたんだね」「両親は私たちのことを本当に考えて秀明を選んでくれたんだね」と友だちとうなずき合ったりしていたよ。親と離れてこそ気づくことが多いとわかった。
父:お父さんの時代は男子校だったから今と状況が違うけれど、女子だからこそ厳格なセキュリティーで寮生活を管理してくれるだろうという期待もあったんだ。奈津樹の様子を見ていると、実際そのとおりだったね。
娘:私は何の不安もなく寮生活を送ることができたし、先生方や寮母さんには本当にお世話になりました。寮母さんは皆さん優しくて、いろいろな相談に乗ってくださったの。体調が悪いときは、自室ではなく、寮母室の隣にある療養室で休むんだけど、寮母さんが1日中見守ってくださって、とても安心だった。寮母さんを「お母さん」と呼んでしまったこともあるくらい、心から信頼していました。

お世話になった秀明の先生方に娘を託したい

父:先生方も熱心に指導してくださったね。家にも週末課題を山ほど持ち帰って、よく勉強していたようだし。
娘:とくに受験が近づくと、担当の先生が、生徒全員に個別の週末課題を毎週のように作成してくださって、封筒に「水越奈津樹さん用」と書いてあるから、「これはやらなければ」と。埼玉医科大学用の問題も用意してくださって、それをこなすだけでもとても勉強になったよ。しかも、本番の受験ではよく似た問題が出題されたから、感謝の気持ちがますます深まりました。

病だけでなく患者さんの痛みを理解できる医師に

父:今、奈津樹は医大生として医学を学んでいるけれど、毎日がとても充実しているみたいだね。
娘:希望していた学部だから、勉強も自分から興味を持って積極的に進められるよ。
父:大学生活では1人暮らしをするようになり、最初はホームシックにもなったね。
娘:秀明では、寮生活だったからホームシックにならなかったんだけど。でも、もう慣れました。
父:お父さんとしては、まだまだ心配だけどね。ところで、今後は医師をめざすわけだけれど、医師は患者さんの病気を診るだけでなく、その患者さんの痛みも理解し、対応できるようになることが大事なんじゃないかな。
娘:お父さんのその言葉、いつも私の胸の中にあります。人間性を知るという意味でも、秀明の6年間で人を深く知ることができたのは本当に良かった。普段は恥ずかしくて言えないけれど、両親には感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。とくにお父さんは医師としても大先輩なので、本当に心強い存在です。これからもっともっと頑張って、医師になって両親に恩返しをしていきたいです。

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